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徒歩や自転車で行くだろうか。それとも電車やバスで?

金か時間か? その両方か?どちらにせよ労力を費やした挙句、

せっかく行った書店で目当ての本が無ければどうなるね?

取り寄せるのに1週間かかると言われ、金や時間をかけてまたぞろ出向かわなければ

ならないのかね。笑止であろう。千万であろう。
今やその場でスマホをタップしさえすれば、その日に自宅まで届けてくれよう。

更に言えば電子書籍ならポチりさえすればタイムラグなしで、

いつでもどこでも読む事が可能。


もはや、本屋さんに存在意義があるのか?

実際、書店は加速度的に消滅しており、もはや存続危惧種に指定されているではないか。

おらが町の本屋さんもとうの昔に失われた。我が環境ではツタヤに併設された書店に

行くしかないが、それも縮小傾向にあるのは否めない。


それでも尚、書店に行く。いや、行かなければならない。


「死にたくないな。書店で会いたい。本屋でセットで買ってくれ」。

2005年の4月16日、午後9時32分に書き込まれた奥山貴宏さんの最後の言葉。

今は無いブログの彼の最後の文章。


それは遺言であり、約束である。

念願だった小説の発売3日後、33歳という若さで彼は死去する。

もう彼はいない。


だけれども、書店に行けば誰かと出会える。

彼の様な誰かの夢の果てのまた夢の、まるで子供が見る楽しい夢の様な

満願成就の未読の宝物。そう、本屋さんは「未読の宝物」で溢れている。


だから、書店に行く。お目当ての本の有無に関係なく。


でも彼の本はもうない。本の賞味期限は永遠ではないし、それどころか意外と短い。

廃刊になれば、もはや流通することはないし、それは本の「死」も当然だろう。

少なからず、本屋さんと言うフィールドではそうだ。

そして、読み干された本が古本として流通する。

でも、それは本屋さんでは扱いわないし、古本屋さんでも必ず見つかる訳でない。

一番見つけやすいのは、アマゾンのマーケットプレイスか.....

またもやネットである。

ネットであるならば、電子書籍でいい。

紙に印刷された形あるものだから在庫となり、不良在庫となり、消滅する運命となるなら

質量を持たない電子書籍なら廃刊にならないどころか、失われたものだって復活する

可能もあるじゃないか。

多くの物書きが目指す彼ら彼女の満願成就の一夜の夢は、

ネットでこそ永遠の命を宿すのではないか。


それでも尚、本屋さんに存在意義があるのだろうか。